3.我が国の高コスト体質と選択肢の少なさについて

エネルギー価格がアメリカに比較して2倍以上というのは、殆ど石油やガスを輸入に頼っているからであると言うことが通説である。しかし、これは日本人の国民性によるところが大きいのではなかろうか。
例えば日本の電力の質は世界一であると電力会社は自負している。これは電圧変動の少なさや周波数の安定度が高いと言うことと、停電の頻度が少ない、つまり信頼性の高い電力であるからコストが高いのであるという説明もなされている。風力発電や、太陽光発電はいつも天気次第で不安定なので、これを既存の電力系統に入れると、この高品質電力供給のさまたげになると言う理由から、前述の如き15万kw以上は電力会社は買えないと言ってるわけである。しかし、もし風力発電を独立で運用すれば少なくとも電気代は現在の半額位になるはずである。自然エネルギーで作られた電力を橋や建物のライトアップや公園の街灯などに使えば、風の弱いときに暗くてもあまり苦情は来ないであろう。風が無いから公園でデートを楽しもうというカップルが増えるかも知れない。しかし、たった数秒テレビの音声がおかしくなっても苦情のくる我が国民の神経質な体質を考えると、この案は実現不可能かも知れない。もちろんパソコンや重大な医療現場などで電圧の不安定さは許されないが、電圧変動があってもあまり影響の無い分野は沢山あり、これが低料金で電力が購入出来ればよしとする人達も多いと思われる。終戦直後は大幅な電圧変動や停電がいつもあったし、それでも電気がつくことだけで有り難かったという思いがある。今はそれでは許されぬが、技術的には消費側が品質の高い電気に直すことも可能となっている。このように消費者側が電力の質を選択して購入出来ることが生活の選択肢を広げるということであり、全てに高い電力を供給するのはムダであるということが理解出来るであろう。 もっとわかりやすく、上水道、下水道の例を取り上げよう。我が国の上水道は人間が飲めるレベルまで品質を高めるため、高いコストがかかっている。しかし、そのうち15%以上はトイレの洗滌水等に消費されているのが現状である。米国では中水道のある地域も多く、飲料水としては適さないがトイレやボイラー、冷却水等の用途には使える低コストの供給源がある。つまり、生活全般における選択肢が大きいので平均的なコストは日本よりもかなり低くなることは明らかである。

日本だと、飲めない水と区別がつかないと万一のときはどうするかなどの議論が出て、責任を問われないようにと常にコストの高い商品に全てシフトしてしまう傾向がある。やはり、これからは消費者の意識を変えていかないと、いつまでたっても高コスト体質はなおらず、高い給与の国なのに真の豊かさを感じないという不幸な国民になってしまう。
コンサートも同じことで、米国では学生でも後部席や立ち見の席ならば安いチケットを入手できるという選択巾が多いことが文化政策の一つになっている。これからは生協が音頭をとって選択肢の広い社会の実現を目指してはどうであろうか。シビルミニマムとかユニバーサルサービスが本当の平等社会であるとする米国との意識差は、一朝一夕には縮めることは出来ないであろうが。
(ドイツの例)
選択肢の広さについてもう一つ例を揚げる。 ドイツでは重量物を運搬するとき、または急がない場合は船をよく使い、未だに新しい運河の建設を行っている。
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日本もようやく一昨年の河川法の改正により船による運搬の大切さを認めたが、これは阪神大震災に船が役立ったからであって、根本的運送体制の見直しにはつながっていない。我が国は鉄道と自動車の普及の際、川や運河での運搬を無視してきたツケが今まわってきたわけで、何でもかんでも陸上輸送に頼ったため、道路は混み、トラックの排ガスが町に満ちあふれることとなった。これを是正するためには、やはり、国民のエネルギーに対する意識の向上と重量物の運搬船使用の優遇措置等が必要になろう。これからは輸送は速さだけではなく、エネルギーや環境コストを加味した選択肢の広い運輸行政が大切になると思われる。生協でも「この荷物は公害やエネルギーコストの少ない船で運搬してきたものです」というPRをして、消費者意識を高めるキャンペーンをはってもよいのではなかろうか。
ドイツでは、子供時代に徹底的に環境教育が行われており、語学の時間にもテキストは環境をテーマにしたものを選ぶと聞いており、やはり、環境改善を目指すには子供時代の教育が大切である。しかし、大人の場合は教育の場がないので、生協が音頭取りをすべき分野が多いのではなかろうか。ゴミの分別や過剰包装是正のキャンペーン等はその良い例で、ようやくこれが常識になりかけたわけであることを見ても、継続してやれば何事も可能になると信じたい。環境庁が2000年に環境省に昇格するときに、生協の大きなプロジェクトとして大人の環境意識改革のため生協は環境省より大きな予算をとって”環境改善は消費者の意識改革から”というテーマでイニシアティブを取ってはどうであろう。
日本の教育も非常に狭い選択肢しかないが、米国の高校などは好きな写真撮影やキャンプなどはアートや体育の一環として単位を与えている。日本もようやくボランティアが単位になる時代になったが選択肢が少ないため、まだまだ画一的人間を製造してしまうことになるであろう。

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